東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)39号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 本願発明の内容及び引用例の記載事項について
(一) 前示本願発明の要旨、並びにいずれも成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許願書)、甲第九号証(昭和五九年七月二七日付け手続補正書)、甲第一二号証(昭和六〇年八月一日付け手続補正書)によれば、水中での構造物の構築やサルベージの分野においては、水中溶接の準備として、あるいは既設対象物の補修のために対象物の表面部分だけを取り除くことが望ましい場合があるにもかかわらず、従来の水中酸素・アーク法及び水中MIG法では水中に沈んでいる金属製対象物に対してガウジング、グルービング(溝付け)、スカーフイング等の表面除去作業を行うことができなかつた(甲第一二号証の手続補正書添付の明細書第五頁第一六行ないし第六頁第五行)が、本願発明は、非揮発性液体中に沈んでいる金属製対象物を切断し得るだけでなく、表面の部分だけを取り除くことができる新しい液中金属除去方法を提供することを目的として(同第六頁第六行ないし第一〇行)、本願発明の要旨記載の構成を採用したことにより、作業者は電極及び液体ジエツトの向きや電極の操作、並びに電流等を適宜コントロールすることによつて非揮発性液体中において切断だけでなく、ガウジング、グルービング、スカーフイング等の表面除去作業を行うことができ、液中、特に水中における構造物の構築や補修が著しく容易となつたという作用効果を奏するものである(同第七頁第六行ないし第一四行)ことが認められる。
(二) 引用例に、ソリツドワイヤの先端部と金属製の対象物との間に水中においてアークを発生させ、対象物のアークの下にある部分の金属を加熱し溶融させるとともに、ワイヤの全周面にジエツト水をワイヤの先端部に向けて噴出し、アーク発生隙間を通過させて溶融金属の急速排除をする水中切断方法について記載されていることは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第一一号証(引用例)によれば、従来水中切断法として実用化されている酸素アーク切断法は、短尺の中空棒を使用するため、三〇秒ないし六〇秒おきに棒を切り替えねばならず能率的でないこと、電撃の危険性が大きいことなどの問題点があつたが(第二九三頁左欄第四行ないし右欄第三行)、引用例記載のものは、右問題点を解決することを目的とするものであつて、従来のMIG切断法(別紙図面(二)、(a)参照)を改良し、シールドガスを全く使用することなく、切断部に高速高圧の水を噴出し、溶融金属を急速に除去すると同時に切断部後方において再融合しないようにしながら良好な切断部を得る方法であり(同頁右欄第七行ないし第一三行。別紙図面(二)、(b)参照)、右構成により、ワイヤの長さが自由に選べるために長時間の連続切断が可能になり、電撃の危険性が著しく低くなるなどの作用効果を奏するものであること(同頁右欄第一三行ないし第一八行)、引用例の第二九四頁右欄第一二行ないし第一九行には、「ジエツト水は溶融金属の再融合防止と切断部の溶融金属の急速排除を目的としている。このため、ふつうのMIG切断では全く切断不可能な厚板でも、ジエツト水によりつねに新しい母材が露出され切断可能となる。水圧二kg/cm2もあれば効果はかなり顕著となるが多少ドロスは残る。しかし五kg/cm2にも増加すれば、ドロスは全く発生しなくなる。」とそれぞれ記載されていることが認められる。
2 相違点一について
前示審決の理由の要点及び前記1、(二)に認定の事実によれば、審決は、本願発明と引用例記載のものとを対比、判断するに当たり、引用例記載のものについては、別紙図面(二)、(b)記載の技術手段を引用していて、イナートガスを用いたMIG切断法を引用していないことが明らかである。
しかし、別紙図面(二)、(b)記載の技術手段は、前記1、(二)に認定のとおり、同図面(a)記載のMIG切断法の技術を改良したもの、すなわち、イナートガスを噴出させる代わりに水を噴出させているものであるが、引用例には、右変更に伴い、電極の種類も変更するということについては何ら触れるところがないから、液中での金属除去に関して、金属線電極を炭素棒電極に置換することについて何ら示唆するところもないといわざるを得ない。
ところで、アーク切断を行う場合に、電極と金属製の対象物との間にアークを発生させ、対象物のアークの下にある部分を加熱し溶融する工程及び右工程に伴う金属除去方法が大気中であろうと液体中であろうと同一であることは当然であるが、それは、アーク切断という観点で捉えた場合に同一であるといえるにすぎないのであつて、使用される電極までが同一であるということはできない。そして、弁論の全趣旨によれば、大気中におけるアーク切断において、炭素棒電極及び金属線電極を用いることが本件優先権主張日当時周知であつたことは明らかであるが、炭素アーク切断、金属アーク切断、イナートガス切断等の切断法の相違により、用いられる電極を異にすることは自明であり、例えば、炭素アーク切断に金属線電極を、イナートガス切断に炭素棒電極をそれぞれ用いるということがないように、切断法とそれに用いられる電極とは一体的に考えねばならないことであり、その点からいつても右切断法はそれぞれ別個のものということができる。
右に述べたとおり、引用例には、金属線電極を炭素棒電極に置換し得ることについて何ら示唆するところはなく、また、切断法とそれに用いられる電極とは一体的に考えねばならないものであるから、ある切断法に用いられる電極を他の切断法に用いることは、特段の事情のない限り行われないものと認めるのが相当であり、さらに、大気中での金属除去方法において用いられている炭素棒電極を、液中での金属除去方法において用いられている金属線電極と等価のものとすることはできない。
してみれば、引用例記載のものにおける金属線電極に代えて、大気中での炭素アーク切断法に用いられている炭素棒電極を用いることが容易であるということはできない。
被告は、大気中でのアークによる金属切断方法において、電極として炭素棒電極及び金属線電極を用いることは周知であり、両者は実質的に同一の工程を遂行させるためのものであるから、液体中又は大気中とその使用場所は異なるとしても、引用例記載のものにおいて金属線電極に代えて炭素棒電極を用いることは当業者が容易に考えられる程度のことである旨主張するが、前記説示の理由により採用できない。
なお、前掲甲第一一号証によれば、引用例には、「実用されているのは酸素アーク切断法のみである。この方法は短尺の中空棒を使用するため三〇秒ないし六〇秒おきに棒を切替ねばならず能率的でない」(第二九三頁第四行ないし第七行)と記載されていることが認められるところ、前記1、(二)に認定したところから明らかなとおり、引用例の記載は金属線電極を対象とするものであるから、右記載部分が対象としているものもワイヤ状の棒電極に関することであると認めるのが相当であり、右記載部分が炭素棒電極の使用を教示ないし示唆しているとはいえない。
右のとおりであるから、相違点一について、水中切断において金属線電極に代えて炭素棒電極を用いるようなことは当業者が容易に考えられる程度のことであるとした審決の判断は誤りである。
3 相違点二について
前掲甲第一二号証によれば、昭和六〇年八月一日付け手続補正により補正の認められた本願発明の特許請求の範囲第一項中には、「電極の側面にその電極の片側において隣接した位置から、」及び「その電極の片側の側面に沿つてその電極の先端側に向かつて噴出させて、」との記載があることが認められ、右記載に係る事項が本願発明の要旨の一部であることは、前示のとおり当事者間に争いがないから、本願発明において、液体の噴流を電極の片側に形成することは、当然に出願当初の明細書及び図面に記載されていたものというべきである。
ところで、前掲甲第二号証によれば、出願当初の明細書の特許請求の範囲第七項には、「圧力をかけられている水の流れの少なくとも一個を、アークの下にある融けた金属に打ち当てて加工物から融けた金属を取り除くように向ける工程」との記載があることが認められるが、右記載中の「少なくとも」は噴流が複数個形成されていることを前提として用いられているにすぎず、噴流の噴出位置までをも規定していると解することは相当でないから、右記載をもつて、出願当初においては、本願発明は電極の全周から噴流を噴出させることを考慮していたものということはできない。
そして、溶融した金属を除去する場合に、本願発明のように、噴出させた液体を電極先端部と対象物との間のアークが発生させられる隙間の一定方向に通過するようにした場合と、引用例記載のもののように、噴出させた液体を電極先端部と対象物との間のアークが発生させられる隙間をランダムに通過するようにした場合とを比較すると、溶融された金属が除去される割合は、前者の方が後者より大きいことは自明である。
そうすると、噴流を電極の片側から噴出させるか、側面全周から噴出させるかは、噴流の分布状態のわずかな差にすぎない旨の被告の主張は理由がない。
また、被告は、噴流を電極に沿つて噴出させるに当たり、電極の周面における噴流の分布状態をどのようにするかは、溶融金属が再融合することなく噴流によつて急速に除去されるように、単位時間に溶融される金属の量や、溶融される金属がその溶融時に飛散しやすいものであるか否か、あるいは溶融金属が流動性が高く再融合しやすいものであるか否かなどを考慮に入れて適宜設計すればよい事項にすぎない旨主張する。
しかしながら、噴流の噴出位置を電極の片側に形成するというようなことが本件優先権主張日当時公知ないし周知であつたことを認めるべき証拠はないから、電極の周面における噴流の分布状態をどのようにするかは、単に被告が挙示する事由を考慮に入れて適宜設計し得るものとは認め難く、被告の右主張も理由がない。
右のとおりであるから、相違点二について、噴流の噴出位置を電極全周ではなく片側のみに限定するようなことは当業者が適宜行う程度のことであるとした審決の判断は誤りである。
4 相違点三について
前記1、(二)に認定のとおり、引用例に記載されている液体の噴出圧力は、周囲の液圧との差である旨明示的に示されてはいないが、噴出する液体に圧力を与えているのは、その圧力によつて溶融した金属を除去するためであつて、それには、右除去すべき箇所の周囲の液圧よりも所定の圧力だけ高くしなければならないこと、すなわち、液中ではその深さによつて圧力が異なるため、右除去すべき箇所の存する液中の深さに応じて噴出圧力を変化させねばならないことは自明であるから、引用例に記載されている液体の噴出圧力も本願発明におけると同様に、周囲の液圧との差によつて規定されているものと解すべきであり、右噴出圧力の規定の仕方については本願発明と引用例記載のものとの間に差異はないものというべきである。
ところで、引用例の噴出圧力に関する前記「水圧二kg/cm2もあれば効果はかなり顕著となるが多少ドロスは残る。しかし五kg/cm2にも増加すれば、ドロスは全く発生しなくなる。」との記載からすると、引用例は、水圧が二・〇kg/cm2から五・〇kg/cm2の範囲内であれば、噴出圧力が高けれは高いほど金属除去作用は顕著になるが、水圧が五・〇kg/cm2に達すればそれ以上水圧を高める必要がないことを教示しているものと認められ、少なくとも右記載が、水圧を五・〇kg/cm2より高い五・六kg/cm2以上にすることを示唆しているということはできない。
そして、本願発明において、噴出圧力を五・六kg/cm2以上としたことが、液中での金属の切断及び表面除去を可能ならしめる一要素となつていることは、前記1、(一)の認定事実より明らかである。
してみれば、引用例に記載されている液体の噴出圧力五・〇kg/cm2という値は、本願発明における噴出圧力の下限値である五・六kg/cm2と大差がなく、本願発明において、噴出圧力を五・六kg/cm2以上としたことによつて、引用例記載のものからは予測できない臨界的効果を生ずるとはいえないとした被告の主張は理由がない。
右のとおりであるから、本願発明において、噴出圧力を五・六kg/cm2以上にするようなことは、引用例記載のものから予測される以上の格別の効果を奏するものでなく、必要に応じ当業者が容易になし得る程度のことであるとした審決の判断は誤りである。
5 本願発明の作用効果について
前記1、(一)に認定のとおり、本願発明は、その要旨とする構成を採用したことにより、液中における金属の切断だけでなく、表面除去を行うことができるのに対して、前記1、(二)に認定のとおり、引用例記載のものは、液中における金属の切断はできるが、引用例には金属の表面除去の可能性についての開示はないから、引用例記載のものとの対比において、金属の表面除去は本願発明に特有のものということができる。
しかるに、審決は、金属の表面除去もできるという本願発明の奏する作用効果を看過したものである。
被告は、本願発明は、その特許請求の範囲に記載されているとおり液体中での金属除去方法に関するものであつて、切断と表面除去の両方を常に可能とする条件をその構成に欠くことのできない事項としたものではない旨主張するが、前記1、(一)に認定のとおり、液中での金属の切断と表面除去の両方が可能であるという作用効果は、特許請求の範囲記載の構成に基づくものであるから、右主張は理由がない。
また、被告は、本願発明において液中での表面除去が可能となるのは、特許請求の範囲に記載された複数の条件を満たすだけでは不十分であり、対象物である金属の材質や厚さに応じて、アーク電流の強さ、電極の対象物への当接角度、電極の移動速度を適宜コントロールする必要がある旨主張する。
しかし、アーク電流の強さ、電極の対象物への当接角度、電極の移動速度は、それぞれ溶融すべき金属対象物の材質やその厚さ、右対象物の形状や表面の状態、どの程度の厚みの表面除去を行うかなどによつて設定される事項であつて、本願発明を実施する場合に適宜考慮すべきことであるから、これらを特許請求の範囲に記載する必要がないことは明らかである。そして、前記のとおり、本願発明は、その特許請求の範囲に記載された複数の条件を満たすことによつて、液中での表面除去が可能なのである。
したがつて、被告の右主張も理由がない。
以上のとおり、審決は、本願発明と引用例記載のものとの相違点に対する判断を誤り、かつ、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過したものであり、その結果、本願発明は引用例に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと誤つて認定、判断したものであるから、違法として取消しを免れない。
三 よつて、審決の取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
炭素を主体とする材料から成る中実の電極の先端部と金属製の対象物との間に、非揮発性液体の液面下においてアークを発生させ、対象物のそのアークの下にある部分の金属を加熱し溶融させるとともに、前記電極の側面にその電極の片側において隣接した位置から、周囲の液体と同じか又は異なる種類の液体を、周囲の液体の圧力より五・六kg/cm2以上高い圧力で、その電極の片側の側面に沿つてその電極の先端側に向かつて噴出させて、その噴出した液体が前記電極先端部と対象物との間の前記アークが発生させられる隙間を通過するようにし、その液体に前記アークにより溶融させられた金属を除去させることを特徴とする液体中での金属除去方法。
(別紙図面(一)参照)
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
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(以下省略)